ありがとうキャラバン第42回は、大阪府大阪市へやってまいりました!
通天閣の前でビシッ。
今回大阪の魅力をご紹介するメンバーは、写真左から、人事総務部吉川、運用部シニア・アナリスト八尾、運用部ファンドマネージャー湯浅、代表取締役社長藤野、運用部シニア・アナリスト栗岡、そしてマーケティング・広報部勝間ことカッツです。
ブログはカッツが担当です!
「午前中に大阪で第8期の運用報告会があったから、メンバーがたくさんいるね~!」
そして家族と大阪に来ていた人事総務部長 山際とも合流し、セミナー前に大阪観光へ繰り出します。
江戸時代、外交の中心地であった神戸港からほど近く、多くの人が行き交う「天下の台所」であった大阪では、戦前より小麦粉を使用した料理を食べる文化がありました。
大正時代には既に「一銭洋食」と呼ばれる小さなお好み焼きのようなものがあったそうで、
今でもお好み焼き・たこ焼き・焼きそば等の小麦粉を多く使った“粉モン”料理が名物です。
「外はカリっと、中はとろっとしてたよ!出汁が効いた生地が、とってもおいしかった~!」
「大阪に来ると、もうひとつ食べたくなる料理がある!」という運用本部長湯浅のリクエストで、
次に向かったのは自由軒難波本店さん。
美人女将の経営する老舗で、大阪名物、卵を落としたドライカレーを食します!
「お米、つやっつや!まぜまぜしてウスターソースをかけて食べたよ~!お米にカレーと卵が絡んでて、とっても美味しかった~!」
こちらの等身大パネルに写っているのは、4代目の若女将・吉田純子さん。
自由軒は明治43年に、大阪初の西洋料理店として難波にて創業。
看板メニューである名物カレーは、創業当時から100年以上、変わらない美味しさで今でも大阪の人たちに愛され続けています。
商人のまち・大阪は、先物取引の発祥の地。
江戸時代、市民は幕府や各藩へお米で年貢を支払い、
各藩は大阪でそのお米をお金に換えました。
お米が豊作の年には価格が下がり、お米が不作の年には価格が上がります。
人々の生活はお米の豊作/不作に応じて不安定になるため、
安定したお米の「価値」を保証する仕組みが必要とされていました。
そんなとき、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の命により、
大阪・堂島に大規模な“米市場”が誕生します。
米市場では、藩が集めたお米の量に応じて“米切手”が発行され、
現物のお米ではなくこの米切手を使用してお米が売買されるようになります。
米切手によって売買がしやすくなったほか、
商人たちが天候条件などを見ながら将来のお米の価格を予想して、
「今年は不作だから、お米の価値が上がるぞ!今のうちにたくさんお米の権利を買おう!」等、
利益を出すための“予想”をして“未来の権利”を売買する、世界で初めての先物市場が大阪で始まりました。
「先物取引ってもともと、お米の価格を予想してたんだね~!藤野さん、湯浅さん、知ってた?」
「僕たちはもちろん、知ってるよ~!」
大阪のセミナーには、昔からひふみ投信を支えて頂いているお客様も含め、多くの方にご参加いただきました!
「仕事を終えてわざわざ来た甲斐がありました」とお声がけしてくださるお客様や、
投資未経験のご友人・ご家族と一緒に参加されるお客様など、皆様のあたたかさに触れた回となりました。
ソウルフードを食べ、歴史を学び、ステキなお客様と出会えた大阪キャラバン。
また必ずお伺いします!今後ともよろしくお願いいたします!
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